前回のノート田山花袋『蒲団』を読んでみた 01の最後に述べたが、実在モデルについて調べているうちに、もう一つ気になることが出てきた。『蒲団』の本文には、当時の文学作品やその登場人物が驚くほど多く埋め込まれているのである。それらは単なる文学知識の披露ではなく、時雄と芳子の関係を別の角度から照らしているように思える。
『蒲団』本文に登場する文学作品とその登場人物を順番に紹介する。①あらすじ、②物語の構図、③『蒲団』との関係を考察し、まとめてみる。
寂しき人々/ハウプトマン
『寂しき人々』は、ゲアハルト・ハウプトマンが1890年に執筆し、1891年に初演した全5幕の戯曲。自然主義劇であり、社会問題よりも知識人の内面的葛藤を描いた作品として知られている。
あらすじ
主人公ヨハネスは若い学者で、進化論や近代思想に魅了された知識人である。彼は妻ケーテと幼い子ども、そして両親とともにベルリン郊外のミュッゲル湖畔で暮らしている。しかし、家庭生活に充実感を見いだせず、「もっと高い精神生活」を求めて苦しんでいる。
そこへ、大学で学ぶ自由な女性アンナ・マールが客として滞在するようになる。アンナは知的で、自立心が強く、ヨハネスと哲学・科学・芸術について対等に議論できる存在であった。ヨハネスは彼女に強く惹かれ、自分では
「これは肉体的な恋愛ではなく、精神的な友情だ」
と思い込もうとする。
しかし、妻ケーテは次第に夫の心が離れていくことを感じ取り、深く傷つく。アンナ自身もヨハネスに共感しているものの、彼の家庭を壊すつもりはない。彼女は「自分が去るしかない」と決断する。
ヨハネスは
- 家庭にも満足できない
- 社会にも居場所がない
- 理想の知的共同体も実現できない
という板挟みになる。
最後にはアンナとの別れにも耐えられず、ミュッゲル湖へ身を投げ、自ら命を絶つ。作品は、残された家族の悲嘆で幕を閉じる。
物語の構図
「知的で若く思いやりのある女性」が「知識人だが理想を求めるあまり周囲を傷付ける自分勝手な男」を残して去る、又 肉体関係には至らず、時雄のように妄想が暴走することも無いが、精神的な執着や欲望が主人公を破滅的な方向へ導いていく、という構図である。
『蒲団』との関係を考察する
『蒲団』の冒頭はエピローグ的に始まるのだが、『寂しき人々』はその冒頭に登場する。場面は、芳子が去ったあとで、時雄は、
自分の立場を考慮すると馬鹿々々しいと思われるだろうが、あれは恋だったはず、芳子はどう思っていたのか?
ともだえ苦しみ、自分をヨハネス、芳子をアンナになぞらえる。死ぬほどの苦しい、とまで言うので、この時点では、時雄はもしかして死ぬのか?と思う読者もいるかもしれない。しかし
「寂しき人々」のヨハンネスと共に、家妻というものの無意味を感ぜずにはいられなかった。これが——この孤独が芳子に由って破られた。ハイカラな新式な美しい女門下生が、先生!先生!と世にも豪い人のように渇仰して来るのに胸を動かさずに誰がおられようか。
とのことなので、時雄はヨハネスのように(少なくとも表面上は)全く気高くなく、芳子の性的な魅力に取りつかれていることが分かり、読者は安心し、これから始まる美少女ものに期待するのである w。
ファースト/ツルゲーネフ
1856年発表の、書簡形式の中編。題名はゲーテの『ファウスト』から取られている。
あらすじ
主人公パーヴェルは、九年ぶりに田舎の領地へ帰り、かつて結婚を申し込んだ女性ヴェーラと再会する。ヴェーラはすでに友人プリイムコフの妻で、子どももいる。
ヴェーラの母親は、生前、娘の感情や想像力が刺激されることを恐れ、小説や詩をほとんど読ませなかった。ヴェーラは教養はあるが、文学的な情熱を知らないまま妻になっている。
パーヴェルは彼女にゲーテの『ファウスト』を朗読する。文学を通じて、それまで抑え込まれていたヴェーラの感情が目覚め、二人は互いへの愛を認めるようになる。しかし、それは既婚女性との許されない恋であった。ヴェーラは精神的にも身体的にも衰弱し、やがて死ぬ。パーヴェルには、彼女の感情を目覚めさせてしまったことへの罪悪感が残る。
物語の構図
「新しい女性」を育てたら、その当事者の男が受け止められなくなってしまった、という構図である。
『蒲団』との関係を考察する
この時点でもまだ時雄と芳子の名前は登場しないのだが、この作品を教えたときの描写があり、ヤバい。
一巻の書籍に顔を近く寄せると、いうに言われぬ香水のかおり、肉のかおり、女のかおり——
時雄は芳子に文学や自由恋愛を教え、「新しい女」になることを勧めることになるわけだが、ここでは芳子をヴェーラになぞらえ、芳子の感情が目覚めることを予感させているのだが、時雄は時雄で違う方向すなわちオヂの欲望に目覚めてしまっている。しかしあろうことか芳子の自由な感情は時雄とは別の男へ注がれるのである ww。
魔風恋風/小杉天外
『魔風恋風(まかぜこいかぜ)』は、小杉天外による長編小説で、1903年(明治36年)に新聞連載されて大きな人気を集めた作品である。明治期を代表するベストセラーの一つとして知られ、恋愛小説・女学生小説の流行を象徴する作品である一方、日本の新聞連載小説の発展を語るうえでも重要な位置を占めている。
あらすじ
物語は、美貌と才知を兼ね備えた女学生・萩原初野が事故で負傷するところから始まる。その出来事をきっかけに複数の男性が彼女に関わるようになり、純愛・嫉妬・誤解・身分意識・社会的な偏見が複雑に絡み合っていく。登場人物たちは感情や世間体に翻弄され、すれ違いが連鎖して悲劇へ向かう展開は、当時の読者に強い印象を与えた。
物語の構図
女学生、恋愛、世間との対立という、芳子を取り巻く同時代的な物語の型を示す。
金色夜叉/尾崎紅葉
尾崎紅葉の代表作。1897年から新聞連載が始まり、作者の死去により未完となった。それでも明治文学を代表する恋愛小説として高く評価され、後世の文学や舞台、映画、テレビドラマに大きな影響を与えている。
あらすじ
物語の主人公は学生の間貫一(はざま かんいち)と、その許嫁であるお宮。裕福な銀行家から求婚されたお宮は、愛よりも経済的な安定を選び、貫一との約束を破って結婚する。深く傷ついた貫一は、熱海の海岸でお宮を厳しく責め、その後は復讐心を抱いて高利貸しとなる。恋愛、裏切り、金銭、そして人間の執着を軸に、明治社会の価値観が描かれている。
物語の構図
『魔風恋風』も『金色夜叉』も当時の日本の恋愛小説で、若者が主人公であり、理想的主義的な内容で大人気であった。『蒲団』では「読んではならんと規定が出てからは・・・」と書かれており、芳子が神戸女学院で自由な教育を受けたことを連想させる。
『蒲団』との関係を考察する
『魔風恋風』は分からないが『金色夜叉』は芳子の本棚に紅葉全集があるとの描写があるので、読んでいたと解釈してよいだろう。ある解説記事1に興味深い分析があった。
貫一は、ただお宮の美しさだけを観ているような描かれ方になっています。
さらに、
このように一方的な感情は、現代的な視点では愛とは言えません。
とも。これは時雄の芳子に対する感情にも重なる。芳子には「新しい女になれ」と自立や自己決定を説く時雄だが、本人が見ているのは、もっぱら彼女の若さとハイカラな美貌、「華やかな声」に「艶やかな姿」。言っていることは進歩的なのに、やっていることは美少女に舞い上がる中年男そのものである www。
ここまでのまとめ
ここまでに登場した作品はいずれも、時雄と芳子の関係を先取りしている。しかし、彼はそれらの物語をそのまま生きているのではない。時雄は文学の主人公を借りて、自分の欲望を「精神的な恋」「知識人の孤独」「新しい女性を育てる教育」として語ろうとする。文学の中の知識人や恋する男に自分を重ねてながら、その気高さや覚悟からは少しずつ外れている。このずれは、芳子に「新しい女」の生き方を教え始めたところで、さらに大きくなる。
時雄は自分の恋を説明するだけでなく、芳子がどのような女性になるべきかについても、文学作品を使って語っていた。次のノートでは、作中に登場する文学作品との関係がこれ以降どのように変化していくかを考察する。